原口泉先生と「ちょっしもた」

こんにちは。

つばさです。

このところ 西南戦争関連の動画をよくみるのですが 今日は少し古い動画をご紹介したいと思います。松平定知アナが司会をしているテレビ番組「その時歴史が動いた」で 西南戦争を取り上げている回について書いてみたいと思います。

原口泉先生とは

ゲストは 原口泉先生。

鹿児島の歴史好きなら知らない人はいないというくらいの鹿児島で有名な先生なのですが 『篤姫』や『あさが来た』等のテレビドラマの時代考証を務めた経歴の持ち主。

若いころは本当にヨカニセ(イケメン)さんで(いや、今でも素敵なのだが 若いときはもっと素敵でいらした) この方が県内のあちこちに出向いて その地域のローカルな歴史的ウラ話を語る 地元テレビ局の鹿児島歴史散歩みたいな番組を 胸をときめかせながらみたものだ。 

で その原口先生がおっしゃることには 私学校の生徒たちが武器弾薬庫を襲撃したことを知った時に 滞在先の根占で発したとされる 有名な「ちょっしもた(しまった)」は 自分が鹿児島にいればこんなことにはならなかった。(自分が 私学校のある鹿児島市内にいれば首領として担がれるおそれがあるから 市内から遠く離れた場所にいよう ということで 大隅半島の「根占(ねじめ)」にいた※)

※現 鹿児島県肝属郡南大隅町根占 『西郷どん』オープニングでの 同町「雄川の滝」は 一躍人気スポットとなった。

自分さえ鹿児島にいなければ私学校の生徒たちは突出しないだろうと思っていた自分の考えが甘かった そして さらに 明治6年の政変で下野せずに 自分の政治勢力を立て直して 己の良しとする政策を推し進める努力をすればよかった という忸怩たる思いからの「ちょっしもた」ではなかったのか みたいなことを話されているのをみて 「そうだ そうだ そうに違いない」と深く感じ入ったのです。

歴史が好きになるきっかけ

私の歴史好きの土台は この先生への思慕の情によって形成されたものだといっても過言ではありません。

先生がおっしゃるには 西郷が目指したのは やはり対ロシア南下政策の一つとしての国防の担い手を育成するための「私学校」ではなかったのか 北海道の屯田兵のような 平時は田畑を耕し 有事の際は農機具を武器に持ち替えてはせ参じるようなものを思い描いていたのではないか というお話を聞いて 

明治6年に下野せず 中央政府の中で もっと言えば 大久保の傍らで 国の政策として 私学校で行ったようなことを実施できれば あたら 優秀な人財を喪わなくて済んだのではないか 内政は大久保が担い 国防と外交を西郷が担うというような形の政府もありえたのではないか、との思いを強くしました。

もし 二人が長命だったならば

大久保に比べて 政権への執着心がなかったというか 泥水を飲んでもいいから 政治の力で己の理想とする政策を行うことをしなかった 逆に言うとそのすがすがしさが西郷人気の理由のひとつなのかもしれませんが ちょっと惜しい気がしました。

それにしても 西郷が下野せず 中央政府で大久保を助け 或いは大久保に助けられ 村田新八らも生きて明治政府に残っていたら 鹿児島から一人くらいは総理大臣が誕生する可能性もあったかもしれないのにと ちょっと しんみりした気分になりました。

 


戦況図解 西南戦争 (サンエイ新書)


西郷隆盛はどう語られてきたか (新潮文庫)